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ぱすたけ日記

日記っぽいのを書きます。真面目なの→http://pastak.hatenablog.com/

幸福の科学大川隆法製作総指揮の最新作『UFO学園の秘密』観てきた

ここから以下(上の映画のサイトもそうですが)幸福の科学関連のWebサイトや書籍などへのリンクを含みます。また作品へのネタバレも含みます。セリフなどは記憶を基に記述しているため要旨は外れていないものの正確ではないかもしれません。特に読みなおしたりとかしてないので思い出した順番に書いています。

皆さん大好き大川隆法大先生の『神秘の法』以来の最新作です。

『神秘の法』では明確に(悪魔の国である)中国が日本含めアジアを侵略するということを打ち出したストーリーでしたが、今回は教育や道徳などをメインに扱った構図になっていました。

以前からも金星人などはよくキーワードとして用いられていましたが、最近の幸福の科学は以前にも増してUFO研究などに力を入れているので今回のタイトルにも納得です。月刊誌などでもUFOや他の星人との輪廻転生などについて最近はよく触れられていました。

高校生が宇宙研究の話を聞いてUFOに興味を持ち、授業課題の自由研究発表的なもののテーマに「宇宙人」を選ぶという感じで始まります。

まぁそこからはアブダクション(宇宙人による地球人の誘拐)を実体験したりして主人公たちは宇宙人の存在を信じるのですが、いざ発表しようとする直前にプレゼン資料などのデータを紛失(レプタリアン(悪い宇宙人のことです。良い宇宙人はプレアデス人と呼ばれていました。)に盗まれていたわけですが)するので、発表会では体験したから本当だと生徒や関係者に熱弁するがとにかくバカにされます。校長も「宇宙人は実在する」というのは非科学的だと批判するのですが、その筆頭であった校長も後半では宇宙人と邂逅しそれ以降は何の疑いも持たずに「世の中の常識が真実ではない。私が本当に見たことそれこそが真実なんだ」と言い始め宇宙人の存在を肯定し、主人公たちの研究を力強くサポートし始めるところは見どころです。

後半序盤で主人公たちが次々とアブダクションによりプレアデス人たちと遭遇する中で、レプタリアンが宇宙協定(お互いの惑星を力で侵略しないとかどうこうというやつで、地球上で言う国際法です。)に反しないギリギリのラインでアメリカや中国ロシアなどの軍部と接触し密約の下で科学力の提供をしているという話を主人公たちが聞くシーンがあります。名指しでそういう出来事があるという告発の形をとっているのはいつものことですね。(この部分、感想サイトなどを見ていると裏情報の暴露という扱いがされており流石です)

こういうのは以前からあって『神秘の法』でも中国が宇宙人の科学力を借りて侵略を始めるというのが描かれていてあれと同じ主張なのであまり驚きはなかったです。

さらに集団的自衛権行使容認についても漏らさずに表現する辺りは流石大川隆法大先生です。

宇宙協定の下でプレアデス人が地球の侵略に来たレプタリアンを妨害したことなどが描かれていました。

ストーリーに書かれている

ある朝、そこへ行ったというハルの妹に原因不明の異変が起きる。 専門家によって退行催眠をかけると、 グレイという宇宙人にアブダクション(拉致)され、 脳に特殊なチップを埋め込まれていたことがわかる。

この部分、他の生徒は脳にチップを埋め込まれるだけではなく精神のコントロールを奪われていたのですが、ハルの妹だけはチップを埋め込まれるだけで済みました。その時にプレアデス人がレプタリアンのUFOに攻撃し妨害をしたということが話されており、その後も学園に入り込んでいたレプタリアンを追い出す手伝いをします(ここではまだ主人公たちとプレアデスは協定を結んでいないので具体的な行動はすべて魂の記憶に目覚めた主人公たちが行います)。

協定を結んでいないという理由で何故かラストシーンはほとんど手を出さなかったのに、地球に攻めてきたレプタリアンをプレアデス人が序盤で実は妨害してたのはどうなんだという感じですが、集団的自衛権がないとレプタリアンにやりたい放題されるぞということか。なるほどふむふむという感じでした。

ちなみに集団的自衛権については幸福の科学を支持母体とする幸福実現党が明確に容認の立場を取っています。

ちなみにこの作品英題にPart0と付いている通り続編が制作されるのでしょうが、ラストのシーンで中国の国家主席とアメリカのやり取りが一瞬流れて作品が終わります。数秒しかないシーンであそこまで国家主席を悪そうに書けるのは流石という感じでした。

今回の映画の大きな広報テーマはUFOと並んでもう一つ『学園』というものがありました。

幸福の科学と学園と言えば近々ではこういう出来事が記憶に新しいことかと思います。

学校法人幸福の科学学園幸福の科学大学として設置しようとしていた学校は現在は私塾という形態で『ハッピーサイエンスユニバーシティ』として開校しています。ちなみに作中の文化祭のシーンなどにはこのHSUのキャッチコピーである「Think Big!」が登場していました。

そういえば舞台のナスカ学園も見た目はかなり幸福の科学学園の校舎の写真と近かったのでモデルになっているのは間違いないでしょう。(エンドロールにも取材協力として名前が出ていた。)

エンドロール中の歌も、よく分からなかったけど校歌なのではないかなぁと思っていたら、サントラのトラックリストに校歌が書かれているから多分そうだったんだと納得できて良かった。

作中に学園というか学校的なものは舞台となっているナスカ学園とベガの学校との2つが登場します(主人公のセリフ中だけだと「地球も宇宙の中では色々なことを学ぶ学校のようなものなのかもしれない」というセリフがありましたがまぁ置いておきます)。

ナスカ学園は形態としては全寮制の進学校です。塾に行くのを禁止しています。主人公たちが取り組む『探究創造』は幸福の科学学園にも同様の授業があります( 教科紹介|幸福の科学学園 中学校・高等学校 公式ホームページ ) 。その舞台の学園の校長が生徒が宇宙人の存在を主張することに反対をすることは結構驚きでした。今回は学園外の町の人々などはほとんど描かれていなかったので、学園の中の生徒や校長などを一般的な人間として描いて不理解な人々を表現する必要があったのではないかという感じです。

ナスカ学園の教育方針は素晴らしいということで幸福の科学学園の教育についての主張を行うのかと思って序盤を見ていると校長などでどうなるんだという不安にかられますが、ベガに行った際に案内された学校では「国境・人種・宗教の違いを理解し合い、その上で正しい価値観や道徳心を学び育っていくことで各星に行きリーダーとなる」人材を育てているという話があります。地球の教育もこうならないから紛争や戦争が耐えないのであるという話です。

ここで見ていてなるほどとなります。ナスカ学園が彼らの主張する教育の姿なのかと思いきや、ベガ星のシーンで登場するわけです。地球の教育は遅れているという主張です。それを正すのが幸福の科学学園ということですね。ちなみにここのシーンでは「宗教」というキーワードが登場します。これも結構力強いなと思いました。先ほどのリンクの文部科学省幸福の科学大学設立却下に関する幸福の科学サイドの主張を思い出します。

ハッピーサイエンスの映画で恒例となっているのは豪華声優陣もそうですが、それよりも目を見張るド迫力CGでしょう。『神秘の法』でも風神雷神のCGは圧巻の一言でした。

今回はテーマがUFOということもあり巨大なUFOが何度も出てきますが、特に後半主人公たちが宇宙に行き彼らと縁のある宇宙人のUFOに乗るシーンやレプタリアンが攻めてくるシーンのUFOは巨大でテクスチャも細かくて見応えがありました。

特にベガの表現は注目です。ベガは地球のような見た目や夜の衛星写真のような見た目*1などと次々と姿を変えます。ベガについてからも近未来的な街が次々と描かれますし、最後の自分たちの「魂の存在(正確なワードが思い出せない…)」と出会って自分たちの過去などについて思い出すシーンの前後の滝や氷河はとてもド迫力でした。

例のごとく後半は宇宙について大学で研究していると言っていた研究者が宇宙人だったりもしますし、このようにベガに行くとか、宇宙人にウォークインされていたこと(これからもされること)を受け入れたり、宇宙協定を結んだりと怒涛のように物語が進行します。

後半部は主張が多いので把握するのが大変ですが、魂の波長に関する話が最近の幸福の科学のあらゆる主張を総合したものという感じでした。

魂の波長を合わせることが出来れば同じ波長の宇宙人(プレアデス人)と繋がり出会い助けあっていけるが、まだ地球人はそのレベルに達していないから主人公たち(ここまでで書くのを忘れていましたが、主人公たちのチームには名前があって「チームフューチャー」といいます)が先導してそうなっていって欲しいとプレアデス人たちは伝えます。ベガに行けたのも主人公たちの魂の波長がとても強かったので宇宙に行くことに成功したということになっています。直接的には述べられていませんでしたが、このままアメリカなどがレプタリアンに取り込まれていくと地球の魂の波長がレプタリアンに近づき彼らとしか繋がれなくなってしまうし、今まさにそうなろうとしているというのが言いたかったのでしょう。

僕が観てきた感想を思い出しつつ記述してみました。

各々自らの判断でよろしくお願いします。

そういう感じらしいです。

こういうreplyもいただきました

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*1:明かりだけが光って見える写真みたいな感じのことです