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ぱすたけ日記

日記っぽいのを書きます。

【続きを読む以降にネタバレ含】劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語を見てきた【最終更新10/29(2nd)】

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語を見てきた。
土曜日0時からの最速上映会に行ってきた。Tジョイ京都では同刻からプリキュアの映画の最速上映会もあったようでプリキュアコスとか、まどマギコスの人たちもいて賑わっていた。

以下にネタバレ込みで感想を書きます。
予定では前売り券が6枚手元にあるので、残り5回くらい行くことになりそうです。
「続きを読む」記法便利!!!!!!!!!!!!

視聴1回目

1回目だったので、まぁざっとストーリーを抑える感じで特に何も考えずに見てたのですが、割とストーリーの部分部分が把握しきれなかったので、そのことを中心に書きます。

見終わってから一番最初にしたpostがこれだった。
本編の感想とは関係ないけど、劇場用の長編予告は見てなくて、さっき見たら意外とネタバレ満載だったからビックリした話を少し。 http://gyazo.com/f07c235e94cb0d092a49bf1a99148e27.gif
これを見ると、マミと対立するほむらや、さやかがほむらに剣を向ける姿があります。
http://gyazo.com/10a48ac26e1dfc385cbd899168c8cf9b.png
マミが”お菓子の魔女”(=シャルロッテ、ベベ)を抱いてるシーンもあった。
まぁ、予告編だけの断片ではギリギリ予想できずに疑問が残るだろうなと思った。

全くもってそのとおりだと思う。
個人的には結末は認めるけども、まだ結末を咀嚼しきれてないという感じ。

キュウべえが説明してはいたけど、ほむらがソウルジェムが割れずに魔女化(?)し、その魔女空間に、生存する杏子やマミが選択的に取り込まれたのはまだ理解できたけど、円環の理に取り込まれたさやかやなぎさ(ベベ)、更には概念化したまどかが取り込まれているのがどういう流れだったのかがわからなかった。
キュウべえは探す手間が省けたと言っていたから、彼女たちを空間内に取り込むるとは思っていなかったようだし、さやかはセリフで「3人もかかるなんて」みたいなことを言っていたので、さやかたちが何らかの方法でほむらの創りだした魔女空間に侵入成功したと考えるのが良さそうと思ってるんだけど、どこかで説明があったりして理解しそこねてるなら今後以降の視聴で確認したいと思います。

ほむらは”悪魔”になる時に「希望でも絶望でも無いわ。”愛”よ」とキュウべえに言っていました。
このシーン結構個人的に違和感があって、確かにあのほむらが抱いていた感情は「まどかへの愛」で疑いはないと思います。
過去に「まどかマギカで描かれてるのは、中学生の少女に特有の恋愛にならない同性への好意」であると書かれたインタビューを読んだ記憶があるので、少し違和感を覚えました。(もしかしたらインタビューじゃなくて、批評だったかもしれません…)
劇場版前後編の世界では、まどかが概念になった後、まどかの存在は皆が忘れてしまい、”魔女”の存在も”魔獣”に置換された世界で、ほむらは1人で魔獣と戦い続ける決意をしました。
その世界を過ごすうちにまどかへの想いが募り、自身でその気持ちを「愛」という言葉で表現してしまうほどに寂しい気持ちになってしまったということなのだろうとはまぁ普通に推測するのですが、虚淵玄のインタビューを見る限り、公式に描かれることはなさそうなので、スピンオフ的にハノカゲ先生とかにコミカライズなどで描いてみて頂きたいものです。

パンフレット内で暁美ほむら役の斎藤千和さんが「今回の劇場版は[完結編]や[FINAL]ではなく、あくまで[新編]」と言っていたり、虚淵玄も”悪魔”になるシーンで終わらせるつもりだったが監督の移行でそのあとのシーンを書いたと語っていて、続編があるのかなと。商業的にも成功している訳なので、続編があってもおかしくなさそうなので、それには期待したいですね。

各シーンごとの所感みたいなのは2回目見て、その時の感覚と比較しながらまとめたい感じがするので、また後日書きます。

視聴2回目

2回目見に行った。
最初に映画館の話をします。
京都だとTJOY京都とMOVIX京都でやってる。
どっちも近くにアニメイトNAMCOのゲーセンがあるから、半券プレゼントも受け取りやすい。
TJOY京都は限定のポップコーンとか、ドリンクとかある。あと、クレジットカードなしでもネット予約できる。そういうの便利。
MOVIXだとコンボセットがある。1200円。 グッズショップは別館。 半券でクレーンゲーム出来る。
ただ、TJOYは音が良くない。
これは結構大きいので気をつけた方が良い。

ここから、本編の感想を書きますね。
今回は前回と違って、初めから「これはほむらの創りだした魔女空間の話だ」と思いながら見たので、色々と気付きがあった。

  • 最初にほむらが転校してくるシーンの後、屋上に魔法少女が集まったところで、まどかがほむらのことを「ほむらちゃん」って呼んでた。前後編でも、この新編のラストでもまどかはほむらのことを「暁美さん」って呼んでから、ほむらに「ほむらでいいわ」と言われて、そこから「ほむらちゃん」って呼ぶ。カットされてるのかもしれないけど、もしかすると、まどかが記憶を微かに持っていることを示してるのかもしれない。(でも、カットされてるだけって方が自然な感じする。)
  • ひとみのナイトメアと戦うべく、杏子やさやかとマミにまどかとほむらが電車の上で合流する時に、べべがキュウべえに威嚇みたいなことをしていた。ベベは事情を知っている訳だから、そういうインキュベータへの敵対心みたいなのが現れてたのかもしれないと思った。

最後、ほむらは自身を「悪魔」と呼称するんだけど、そんなにほむらが外道なことをしたとは思えなかった。寧ろ、ほむらの選択は「神」になったまどかの選択よりも多くのキャラを救ったと思った。
映画の序盤はプリキュアのように魔法少女たちが仲良く共闘しナイトメアを倒すという、1つの魔法少女たちが夢に思っていた「幸せの時間」を過ごしていました。
時間的にその対極に位置するラストも魔法少女たちにとっては「幸せの時間」なのではないかと思ったりするわけです。
さやかは円環の理の一部であった記憶を失い人間界に復帰する。
そこでは、ひとみと上条カップルと朝の挨拶を交わし、「また挨拶出来るのがこんなに嬉しいことだって考えたことなかったんだ」と喜びを溢れさせます。
ベベも小学生として人間界に戻り、楽しそうに走り回ります。
まどかが転校してきて、ほむらが彼女を案内している時、まどかは自身が変わってしまったのではないかと一瞬疑問に感じますが、ほむらがそれを打ち消します。
ほむらはまどかとまた日々を過ごせるわけですし、まどかも彼女が大切に思う人々と過ごせる日常を取り戻したのではないでしょうか。まどかが概念になり全ての人がまどかのことを認知せず忘れてしまったことをほむらは「怖い夢を見たの」とした上でまどかに話しました。
まどかはそれに「そんなこと起こるわけないよ。だって私だよ。ほむらちゃんが泣いちゃうようなこと、私が耐えられるわけないじゃない」と応えます。それと同時にほむらやさやかのといった魔法少女仲間や家族、クラスメートが自身にとって大切であるということも話します。
それを聞いて、ほむらは泣き崩れました。
ほむらはまどかにとってのその大切な人たちとの日々をまどかの元に再び与えたとも言えるのではないでしょうか。
まどかは自身の望みとして魔法少女が絶望して魔女になる前に救うという望みを叶えて、「円環の理」になったわけですが、それを行ったことで、ほむらの「まどかを救いたい」という願いをある意味なかったことにしてしまったわけです。
むしろ、ほむらに戦いの運命をより重たく背負わせてしまったとも言えると思います。
その結果孤独の中で戦い続けたほむらは最終的に自身を「愛」で埋め尽くし、まどかを円環の理から分離させることになりました。
ですが、このほむらの行為はまどかの願いを否定することにはならなかったようです。
ほむらはさやかに「魔獣を倒したらそれ(魔法少女の敵になることを指す)も良いかもね」と言います。
この言葉からも分かることから、ほむらが「悪魔」になった後の世界でも魔獣が存在しています。
また、ほむらは「円環の理からまどかの一部、存在の記憶を取り出したに過ぎない」と言っていましたし、実際描写でも、制服まどかとアルティメットまどかが分離するように描写されていました。
これらのことから「円環の理」は消滅しておらず、まどかの祈りは守られています。
まどかの祈りは全体を救ったように思えましたが、こう考えるとほむらを追い詰め苦しめてしまったように思えます。
ほむらはその逆で、「愛」という個人的な強い感情で動いた結果、まどかも含めて皆をある意味でハッピーエンドに導いたと思えました。

2回目の新編鑑賞では、そんなことを考えながら、実はまどかよりもほむらの方が多くに希望を与えたのではないかと思ったりしたのでした。